ウーラン・ターナ監督

ウーラン・ターナ監督
内モンゴル出身。中央演劇学院脚本演出科を卒業後、内蒙古テレビ局で数々の短編ドラマを制作。’03年、本映画祭でも上映された長編映画「暖春」でデビューし、中国電影金鶏奨「新人監督賞」を受賞。今秋、「暖」シリーズ第3作の「暖陽」が撮影開始され、来春には、「暖春」のテレビシリーズの撮影も開始される。今回は2作目「暖情」を上映し、2回目のゲスト来場。

アネッテ・ヴィンドバルド・ヴォン・ヴァルテー監督

1964年生まれ。リポーターとして仕事をしたのち、短編「Fan ta dom」やドキュメント作品を監督、04年に3人の若い女性の友情や人生を描いた「Sex points、6points」で長篇デビュー。「プードルのトリミング」は長篇第2作。

カタリーネ・ハウゲンさん(脚本家)

カタリーネ・ハウゲンさん
2001年にノルウェー国立映画学校を卒業。以後ノルウェーの国営放送局NRKのテレビシリーズ2本の脚本を手掛ける。現在もNRKの主力脚本家としてドラマシリーズの30話を手掛けている。スウェーデン映画「プードルのトリミング」にも脚本で参加。

サツキ・イナ監督

サツキ・イナ監督
カリフォルニア州立大学名誉教授、家族研究所設立者
 第二次世界大戦中の日系人強制収容所の一つ、トゥールレイク収容所にて生まれる。異文化カウンセリングが専門の心理療法士の資格を有し、彼女と同じように強制収容所にて生まれた人達のグループを組織している。この15年ほどは、強制収容所関連のリサーチをする。最初のドキュメンタリーフィルム、"Children of the Camps"は北カリフォルニア・エミー賞にノミネートされ、1999年から2003年にかけてPBS(教育テレビ)で全米に放映された。また、最近は、ノースダコタ州にあった「敵性外国人」収容所に収容されていた父の俳句に関する展示、「雪国の刑務所(Snow Country Prison)」展示(全米日系人博物館他、全米にて順次展示予定)の副責任者として関わる。カリフォルニア州サクラメント市在住。

熊谷博子監督

熊谷博子監督
1951年東京生まれ。1975年より、日本映像記録センターにて、ディレクターとして、TVドキュメンタリーの制作を開始。戦争、原爆、麻薬などさまざまな社会問題を追い、1985年にフリーの映像ジャーナリストとして独立。これまで各テレビ局で50本を越すドキュメンタリー番組を作る。TV番組のほかにも、戦時下のアフガニスタンに生きる人々を描いた『よみがえれカレーズ』(89年 土本典昭と共同監督)、自らの育児経験をもとにした『ふれあうまち』(95年)、日本の女性監督たちの格闘を描いた『映画をつくる女性たち』(04年)などのドキュメンタリー映画を多数監督する。右手にカメラ左手にこども、がモットー。

マー・リーウェン監督

マー・リーウェン監督
マー・リーウェン監督は、都合により来場されなくなりました。

コン・チェさん(俳優)

コン・チェさん
1983年6月3日生まれ。2003年、中央美術学院に入学し現在も撮影を学ぶ。2004年6月から「私たち」の撮影が始まり、女優デビュー。本作で中国大学生映画祭新人賞を受賞。

宮崎信恵監督

宮崎信恵監督
1942年生まれ。東京。
東京教育映画部にて編集の見習いを経て、フリーのスクリプターとなる。
1976年、短編教育映画「愛のかけ橋」を監督。以後、障害者や高齢者問題をテーマとした短編ドキュメント作品を数多く監督する。
代表作「ぼけと向き合う日々」教育映画祭最優秀文部大臣賞、「ぼけてもその人らしく」教育映画祭最優秀文部科学大臣賞、「風の舞〜闇を開く光の詩〜」キネマ旬報文化映画部門2位 等

タマーラ・ボスさん(脚本家)

タマーラ・ボスさん
アムステルダム大学のオランダ語および国文学を卒業。子供用ドラマシリーズ「Class Dismissed」の脚本でLIRA作家賞を受賞。「ウィンキーの白い馬」の映画脚本は2005年のオランダ映画祭にてゴールデンカーフシナリオ賞を受賞した。
Photographer Marlene Huwae

シャオジェン・ジォーさん(セールスエージェント)

シャオジェン・ジォーさん
北京報道協会の国際ジャーナリズムとカルガリー大学のコミュニケーション科を卒業し、中国とカナダでの様々な方面の映画やテレビの製作・共同制作・国際配信において広範な経験を持っている。シドニー・モントリオール・上海・テヘランでの様々な映画祭に招待されている。
シャオジェン・ジォーさんは、都合により来場されなくなりました。

羽田澄子監督

羽田澄子監督
1950年岩波映画製作所入社後、写真文庫の編集、その後記録映画の編集に携わる。初監督作品は「村の婦人学級」で、在職中の作品は80本あまりに及ぶ。1981年同社退社後、フリーで記録映画の演出をする。1982年の「早池峰の賦」で女性監督としてはじめて芸術選奨文部大臣賞を受賞。今回、7回目のゲスト来場。

安田真奈監督

安田真奈監督
神戸大学映画サークルで8mmを撮り始めて以来、就職後メーカー販促部門に勤めながらも年1〜2本映画を撮り続け、〈OL映画監督〉としてNHK、AERAなど、各方面で取り上げられ、注目を浴びる。94年、97年、98年と3回「あきるの映画祭」グランプリをはじめ、各地映画祭で入賞多数。グランプリは計6冠。

吉行和子さん(俳優)

吉行和子さん
東京都生まれ。劇団民芸演劇研究所を経て、1957年「アンネの日記」のアンネ・フランク役で舞台デビュー。現在は、フリーで舞台活動を中心に、数多くのテレビや映画で活躍している。「密の味」で紀伊国屋演劇賞個人賞、「愛の亡霊」で日本アカデミー賞、2001年に本映画祭で上映した「百合祭」「折り梅」等で、毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞するなど受賞作多数。さらに、著書『どこまで演れば気がすむの』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど、俳人、エッセイストとしても活躍している。

ユリ・ヨシムラ・ガニオンさん(プロデューサー)

ユリ・ヨシムラ・ガニオンさん
大阪生まれ。松山樹子バレエ団に参加、モスクワ訪問の後京都にてバレエ教室を主催。70年大阪万博に訪日中のクロード・ガニオン監督と映画製作を開始する。プロデュースの他、カナダ国内配給、海外セールス等60本以上の作品をあつかい、カナダ映画際、ケベック映画際を大使館、州政府と共同オーガナイズ。日本とカナダ両国間政府による正式共同製作条約成立に対し両国政府に数年に渡り交渉、調印を可能にする。

岡田茉莉子さん(俳優)

岡田茉莉子さん
東京都渋谷区生まれ。父はサイレント映画時代のスター、岡田時彦。母は宝塚歌劇のスター、田鶴園子。高校卒業後、母の強い希望により、東宝演技研究所に入る。その年の8月、川端康成原作、成瀬巳喜男監督の映画『舞姫』で、女優としてデビュー。岡田茉莉子の芸名は、亡き父と同様に、谷崎潤一郎によって名づけられる。東宝専属のスターとして数多くの映画に出演。1957年以後は、女性映画を中心とする松竹に移籍する。1962年、映画出演百本記念として『秋津温泉』を自ら企画し、演出を吉田喜重監督に依頼。この作品により、数多くの女優賞を受ける。1964年、吉田監督と結婚。以後は松竹を離れ、テレビ、舞台にも活躍の場を広げる。2001年、女優歴50周年の記念すべき年に、映画『鏡の女たち』に出演。同映画は02年、カンヌ国際映画祭で特別上映、03年に公開される(あいち国際女性映画祭2002特別上映作品)。これまでに出演した映画は、180本以上。
※ゲストは、やむを得ない事情により来場できない場合があります.