ある夫婦の10年の軌跡を描いたこの作品は、橋口亮輔監督の6年ぶりの最新作。作品タイトルは、「自分の身の周りのこと。自分をとりまく様々な環境のこと。」という意味で、今年3月、映画館スタッフが選ぶ「第1回映画館大賞」で邦画第1位を獲得しました。
Q 作品制作にいたったいきさつは?
橋口監督 『ハッシュ』を撮っている途中から、法廷画家の映画を撮りたいと思っていて、法廷画家10名くらいに実際に取材をしてみました。法廷画家ですから、数多くの裁判に触れて何かしら自分の人生に裁判の影響を受けているだろうと思っていました。ところが、法廷画家の方が、実際には誰にも裁判のことを話さず、仕事として絵を描いてただ提出しているだけで、裁判に対して自分なりの正義感を当てはめることがないということを知って、主人公として面白いと思いました。
Q 前作『ハッシュ』までの同性愛のテーマから離れて、決して特別ではない普通の夫婦の物語にしたのはなぜだったのでしょうか?
橋口監督 ちょうど10年かかって、同性愛をテーマにした3本の映画をメジャーで作り、すべて成功を収めました。また、3作目の『ハッシュ』は、同性愛を扱ったものとしては日本で初めて賞をいただき、海外でも評価されてこのテーマについては一区切りついたと感じました。また、『ハッシュ』では30代の自分が感じたことを映画にしましたが、40代の自分にとっては「普通の夫婦」が一つの挑戦であり、あえて「絶対に別れない夫婦」を取り上げることにしました。
自分が鬱になったことが大きいと思うんですが、「人と一緒に暮らす」というのがどういうことなのかをやってみたかったんです。鬱になっているときに、思いがけない人からの救いの手があったりして、「人に絶望を与えるのも人だし、人に希望を与えるのも人なんだ」と本当に感じました。そこから、「人と一緒にいることが希望になる」ということを伝えたくて普通の夫婦なんだけど、絶対の別れない夫婦の物語をつくることにしました。
Q 主演されているリリー・フランキーさんも木村多江さんも映画初主演だったのですが、このお二人のキャスティングについては、どんないきさつがあったのでしょうか?
橋口監督 リリーさんの著作『東京タワー』をいただいていたので、話題になっていたこともあり、一度読んでみたんです。そうしたら、そこにカナオがいました。リリーさんは素人ですが、それでもリリーさんしかいないと思い、リリーさんに打診しました。それから、長い間返事を待たされたのですが、リリーさんしかいないと思っていたので何度も打診しました。最終的にはリリーさんが大きなスイカを持ってきて、「僕がカナオです。やらせてください」と言ってくれました。それから、「遅刻だけは絶対にしないで」とこんこんと説明しました。リリーさんは、2時間くらいの遅刻は当たり前なのですが、撮影のときは一度も遅刻せずに来てくれました。また、木村さんも自分の体そのものを映画に投げ出してくれるように翔子を演じてくれました。なかなかできることではないと思って、二人には本当に感謝しています。
Q 橋口監督のリハーサルが変わっているということを伺ったのですが、どのようなものですか?
橋口監督 台本の台詞をそのまま言ってもらうのではなく、設定だけあって自由にやってもらうんです。『ぐるりのこと。』では二人の30代を描いているのですが、映画が始まる寸前までをリハーサルでつくるんです。大学のキャンパスで二人が出会い、リリーさんが木村さんをナンパするんですが、木村さんは嫌がるという設定から始めてもらいました。そのリリーさんのナンパが「うちに死んだウサギがいるんだけど見に来ない?」というもので、木村さんは本気で嫌がっていました。
また、リリーさんの浮気がばれて、浮気相手の女の子が現れるといった修羅場もやってもらいました。そうやって、二人が出会ってから10年間の時間を作っていきます。嘘の記憶でも、自分の中で残って重なっていくんですね。これが、お互いの距離感、空気を作るうえでとても大切で、自然に画面にも現れてきます。
Q 夫婦の10年の軌跡を描いた作品ですが、「93年からの」10年が描かれているのはなぜですか?
橋口監督 自分がちょうど鬱の真っ只中だったときにイラク戦争の最中で、日本人が3人人質に取られるというニュースがありましたよね。このときに日本中からものすごいバッシングがありました。彼らの行動は、確かに軽率だったかもしれないけど、そこまでバッシングする必要があるのだろうかと思いました。なぜ日本人がこんな風に変わったのかということを考えたときに、93年がターニングポイントだと思いました。
まず、91年後半にバブルが崩壊し、その後、日本人の価値観を変えたということ。次に、宮崎勤が逮捕されて、裁判がはじまったのも93年でした。宮崎勤は日本の犯罪史も変えました。たまたま宮崎勤と同じ年なのですが、バブル崩壊以降、93年から10年の2001年には宮崎勤の死刑執行があって、いろいろな思いが重なって、ちょうど一区切りになっているんです。
(是澤)