「台湾人生」は1895年(明治28年)から51年間、日本の統治下にあった台湾で日本語教育を受けた5人の台湾の人たちの人生をインタビューによって振り返りながら、台湾東部の花蓮県、台北、高雄、基隆そして日本を舞台に酒井監督が取材・撮影を行ったドキュメンタリー映画です。
上映前、満席となった会場に拍手で迎えられた酒井監督は、「今日は朝早くからありがとうございます。映画の中で一部、おじいちゃんたちの日本語が聞き取りにくいかも知れませんが耳をすまして彼らの声を聞いてほしいです。」と舞台あいさつ。
上映後のゲストトークでは、始めに酒井監督が、「以前から台湾の映画を見ることが好きで台湾に行ってみたいとも思っていました。そして、実際に訪れたときに流暢な日本語を話すおじいさんに話しかけられ、日本統治時の話を聞きました。台湾に興味があったので日本統治があったという知識があり、もっとお話したいと思いましたが、その時は、時間の都合上、中途半端になってしまいました。この経験と以前勤めていた新聞社での映画関係の取材を通して感じた映画制作の魅力が重なって映画を撮ろうと思い立ちました。」と制作のきっかけを語りました。
また、ドキュメンタリーにした理由を聞かれると、「最初は物語風に制作しようと考えていましたが、取材をする中で、本人の日本語の独特なイントネーション等をダイレクトに伝えたいと思い、初期の段階でドキュメンタリーに変更しました。」と経過を説明。
苦労した点はという質問に対しては、「撮影中の苦労はほとんどありませんでした。ですが、100時間もの映像を編集していく作業が大変で身を切られるような感じがしました。」と答えた。
次回作については、「これからもテーマは台湾にこだわっていきたいと思っています。今回は日本語世代にスポットをあてましたが、次はこれからの台湾を担っていく若い世代について撮っていきたいと思っています。台湾は国際的に不安定な立場にあり、正式な国交を結んでいる国も20ヶ国程しかありません。しかし、台湾国内ではそうした状況に危機感や焦燥感は見られません。今後はそのような点を今の若い世代はどう感じているのか、どう考えているのかという事を聞いてみたいと思います。」と抱負を語りました。
その後、観客からも質問が数多く寄せられ、台湾の中での歴史の認識の違いについて聞かれると、酒井監督は「世代間のギャップは日本よりも台湾のほうが激しいと思います。映画の中にも登場していた2・28事件についても詳しく知らない10代、20代は大勢います。」などと答えました。
最後に、酒井監督は「私のアイデンティティは日本人です。今回のこの映画の取材の中で改めて自分が日本人だということを確認しました。そして、初めて日本を考えました。日本は戦争で負けたことで清算し、台湾に対してなにもしてきませんでした。この映画を見て、一人ひとりが台湾について興味を持ち、思いを馳せ台湾について考えていっていただけたらうれしいです。」と観客にメッセージを送り、大きな拍手に包まれて終了しました。
(平松)