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あいち国際女性映画祭2009観客賞に投票していただいた方の中から、抽選の結果、次の15名様に次回映画祭チケット引換券をペア(2枚)でお送りいたします。おめでとうございました。

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キャメラ助手として映画界入りし、黒澤明監督作品の現場にも参加。長年にわたって最前線で活躍し続けている木村大作監督は、今回『劔岳 点の記』で初監督を務めました。映画の撮影は実際に劔岳、立山連峰で行われ、過酷なロケの末に完成され渾身作となりました。ゲストトークでは、木村監督は、観客から寄せられた多くの質問に熱く語りました。
ゲストトークでは、木村監督はマイクを使わず地声で対応。まず、その理由について、「撮影中には反対の峰の役者にも届くくらいの声を出さなきゃいけないから、これくらいの会場だと声は届くんですよ。腹にあることをそのまま話したいんです。マイクを使うとどうしても考えてしまって本音が出てこないからね。」と言及。
 映画を製作しようと思ったきっかけについて聞かれると、「僕は35mmキャメラで自分で撮影しに行くこともあるんですが、あるとき能登半島の波を撮影しに行こうと思って行ったんです。その帰りに立山連峰が見えたので35mmキャメラで撮ってみて、ちょうど持っていたこの映画の原作の『劒岳 点の記』を読んだら、正面に見えるこの山を映画に撮りたくなりました。『劒岳 点の記』の中には、ただ地図を作るためだけにも黙々と仕事をしている人たちが出てきます。それが自分が映画に対してしていることと重なって、自分の人生を当てはめたいと思いました。」と語りました。
 また、木村監督は撮影中の数々のエピソードを披露。「撮影期間は約2年間で、そのうち200日は立山連峰で過ごしました。撮影はすべて話に合わせた順序で撮りました。1カットに10日間を費やしたこともあります。自然を撮るというのはそれくらい忍耐が必要なんです。この映画は、「こだわり、集中、記憶」でできています。俳優に対しては、「これは撮影ではない、苦行なんだ。」と言っていました。撮影は普通は楽しいものですが、今回の映画ではそれは味わえないということです。最初はみんな冗談かと思っていましたが、撮影するうち理解したようです。今回の撮影ではマネージャーの同行もなしでみんなで登りましたからね。」と。
 「CGは全く使っていなかったのですか。」という客席からの質問には、「この映画ではCGは一切使っていません。映画に出てくる雪崩のシーンでは、ダイナマイトを130発埋め込んで爆発させて雪崩をおこしたんです。その2ヶ月前にも行ったんですが、そのときは雪が堅くて雪がサラサラと流れる程度だったのでもう一度挑戦しました。滑落の場面も山岳ガイドの方にお願いして実際に行いました。」と回答し、撮影に対する監督の意気込みが伝わりました。
 原作にはなかった、ラストシーンで手旗を振るシーンについては、「遠くにいても心は通じるということを表したかった。」と解説。映画で出てきた「何をしたかではなくて、何のためにしたかが大事です。」というセリフについては、「以前、高倉健さんから送られた手紙の中に綴られていた言葉であり、この言葉によって僕の方向が変わりました。他にもこの言葉を残した人はいますが、このセリフはこの映画で一番輝いていると思います。」とエピソードを披露。
 また、「山岳会の衣装がカッコ良すぎると言われることがありますが、明治、大正のころの日本は華やかで、博物館に残っている当時実際に山岳会の人が着ていた服装をそのまま再現しているんです。この映画は2年間、200日かけて作りましたが、最近の映画はテレビの二番煎じが多い。映画は見て発見するものだけど、今は分かりやすい映画がヒットする。」と最近の映画のあり方に一言。
 最後に、「ラストに登頂シーンや万歳を入れなかったのは、仕事に対する自分の思い。プロデューサーからもそのような提案があったけど、それは出来ないと断ったんです。普通だったら、撮るだけ撮っておくかとなるけど、撮ったら後でまわりから説得されるだろうと思い、絶対撮らないと決めた。」、さらに、「こんな映画は今後ももうないだろう。自分の思うままに作った、いわば壮大な自主制作映画なんです。自分が人生で見てきたことと体現したことだけで作ってある。聞いたこと、自分に当てはまらないことは一切入っていない映画。」と監督の映画哲学が、熱く語られ、歓声と拍手が会場に大きく響きました。


(河口)

 昨日、午後6時30分からの交流パーティーの席上、あいち国際女性映画祭2009の「観客賞」と「愛知県興行協会賞」が発表されました。
 ノミネート16作品のうち、みごと観客賞を獲得したのは、ディーパ・メータ監督の「とらわれの水」、興行協会賞には、宮崎信恵監督の「あした天気になる?〜発達障がいのある人たちの生活記録〜」が選ばれました。
 観客賞のメータ監督は、映画祭に来場していないため、映画祭事務局スタッフが代理で受け取り、後日、監督のメッセージがホームページで披露されるとのこと。
 興行協会賞を受賞した宮崎監督は、「皆さん、本当にありがとうございました。最初から映画祭に呼んでもらえただけでラッキーと思っていました。この賞は、年の功でもらえたのかな、一番年上になるので、これまでのご褒美ということかも。今、若い人たちが頑張っており、応援してもらいたい。」とお礼とメッセージを述べました。

(写真)左から愛知県興行協会森田理事、宮崎監督、映画祭事務局スタッフ、あいち男女共同参画財団栗本理事長

 ある夫婦の10年の軌跡を描いたこの作品は、橋口亮輔監督の6年ぶりの最新作。作品タイトルは、「自分の身の周りのこと。自分をとりまく様々な環境のこと。」という意味で、今年3月、映画館スタッフが選ぶ「第1回映画館大賞」で邦画第1位を獲得しました。

Q 作品制作にいたったいきさつは?
橋口監督 『ハッシュ』を撮っている途中から、法廷画家の映画を撮りたいと思っていて、法廷画家10名くらいに実際に取材をしてみました。法廷画家ですから、数多くの裁判に触れて何かしら自分の人生に裁判の影響を受けているだろうと思っていました。ところが、法廷画家の方が、実際には誰にも裁判のことを話さず、仕事として絵を描いてただ提出しているだけで、裁判に対して自分なりの正義感を当てはめることがないということを知って、主人公として面白いと思いました。

Q 前作『ハッシュ』までの同性愛のテーマから離れて、決して特別ではない普通の夫婦の物語にしたのはなぜだったのでしょうか?
橋口監督 ちょうど10年かかって、同性愛をテーマにした3本の映画をメジャーで作り、すべて成功を収めました。また、3作目の『ハッシュ』は、同性愛を扱ったものとしては日本で初めて賞をいただき、海外でも評価されてこのテーマについては一区切りついたと感じました。また、『ハッシュ』では30代の自分が感じたことを映画にしましたが、40代の自分にとっては「普通の夫婦」が一つの挑戦であり、あえて「絶対に別れない夫婦」を取り上げることにしました。
自分が鬱になったことが大きいと思うんですが、「人と一緒に暮らす」というのがどういうことなのかをやってみたかったんです。鬱になっているときに、思いがけない人からの救いの手があったりして、「人に絶望を与えるのも人だし、人に希望を与えるのも人なんだ」と本当に感じました。そこから、「人と一緒にいることが希望になる」ということを伝えたくて普通の夫婦なんだけど、絶対の別れない夫婦の物語をつくることにしました。

Q 主演されているリリー・フランキーさんも木村多江さんも映画初主演だったのですが、このお二人のキャスティングについては、どんないきさつがあったのでしょうか?
橋口監督 リリーさんの著作『東京タワー』をいただいていたので、話題になっていたこともあり、一度読んでみたんです。そうしたら、そこにカナオがいました。リリーさんは素人ですが、それでもリリーさんしかいないと思い、リリーさんに打診しました。それから、長い間返事を待たされたのですが、リリーさんしかいないと思っていたので何度も打診しました。最終的にはリリーさんが大きなスイカを持ってきて、「僕がカナオです。やらせてください」と言ってくれました。それから、「遅刻だけは絶対にしないで」とこんこんと説明しました。リリーさんは、2時間くらいの遅刻は当たり前なのですが、撮影のときは一度も遅刻せずに来てくれました。また、木村さんも自分の体そのものを映画に投げ出してくれるように翔子を演じてくれました。なかなかできることではないと思って、二人には本当に感謝しています。

Q 橋口監督のリハーサルが変わっているということを伺ったのですが、どのようなものですか?
橋口監督 台本の台詞をそのまま言ってもらうのではなく、設定だけあって自由にやってもらうんです。『ぐるりのこと。』では二人の30代を描いているのですが、映画が始まる寸前までをリハーサルでつくるんです。大学のキャンパスで二人が出会い、リリーさんが木村さんをナンパするんですが、木村さんは嫌がるという設定から始めてもらいました。そのリリーさんのナンパが「うちに死んだウサギがいるんだけど見に来ない?」というもので、木村さんは本気で嫌がっていました。
 また、リリーさんの浮気がばれて、浮気相手の女の子が現れるといった修羅場もやってもらいました。そうやって、二人が出会ってから10年間の時間を作っていきます。嘘の記憶でも、自分の中で残って重なっていくんですね。これが、お互いの距離感、空気を作るうえでとても大切で、自然に画面にも現れてきます。

Q 夫婦の10年の軌跡を描いた作品ですが、「93年からの」10年が描かれているのはなぜですか?
橋口監督 自分がちょうど鬱の真っ只中だったときにイラク戦争の最中で、日本人が3人人質に取られるというニュースがありましたよね。このときに日本中からものすごいバッシングがありました。彼らの行動は、確かに軽率だったかもしれないけど、そこまでバッシングする必要があるのだろうかと思いました。なぜ日本人がこんな風に変わったのかということを考えたときに、93年がターニングポイントだと思いました。
 まず、91年後半にバブルが崩壊し、その後、日本人の価値観を変えたということ。次に、宮崎勤が逮捕されて、裁判がはじまったのも93年でした。宮崎勤は日本の犯罪史も変えました。たまたま宮崎勤と同じ年なのですが、バブル崩壊以降、93年から10年の2001年には宮崎勤の死刑執行があって、いろいろな思いが重なって、ちょうど一区切りになっているんです。
(是澤)

この作品は、宮山監督がミュンヘンテレビ映画大学の卒業制作で、ドイツ映画新人奨励賞2008(撮影・音楽・編集)、2008バイエルン映画賞新人プロデューサー部門を受賞。ドイツの現地紙では主演の猪俣ユキさんの好演が、「圧倒的な存在感を持つ」と絶賛されています。作品上映後のゲストトークには主演の猪俣ユキさんと園木美夜子プロデューサーが参加し、観客からも多くの質問が寄せられました。

Q この作品の経緯について教えてください。
園木さん 宮山監督は世界でも指折りの映画学校に日本人では初めて入学し、10年勉強した後、卒業制作としてこの作品を撮りました。制作費用については、ドイツでは資金が集まったのですが、商業映画ではないため日本側では資金集めに苦労しました。また、この話は実話からインスパイアされてできたものであり、映画の中で話題になる事故も実際に起こったものなのです。

Q 主役の小野寺亜紀役に猪俣さんを選んだ理由は?
園木さん 宮山監督は目力が強くてボーイッシュで芯が強い女の子を探していました。インターネットで猪俣さんの写真を見て直接会うことになり、そこで即決したようです。

Q この仕事の話が来たとき、猪俣さんはどう思われましたか?
猪俣さん 卒業制作と聞いて、最初は自分の中に冒険と不安が入り混じっていました。しかし、脚本が商業用の作品と違って、静かで心が動かされるものがあったので、とても興味がわきました。

Q ときどき荒れたような画面があり、そこがまた美しいと感じたのですが、それは意図的ですか?
園木さん 宮山監督は16mmフィルムを使うことにこだわっていました。フィルムには独特の雰囲気があるので、ある意味で意図的と言えるかもしれません。
猪俣さん 実はフィルムが、現像の過程で紛失してしまった部分があって、そこのデータをデジタルに吸い取って、それをまたフィルムに直す作業がおこなわれたので、少し画像が荒くなってしまった部分があるんです。

Q 猪俣さんは俳優業以外にも脚本、監督業を行っておられますが、映画をつくるのと、演じる楽しさの違いはありますか?
猪俣さん 私は演じるほうから始まり、もっといろんなことを経験したくなって脚本を書いて役者仲間とデジカメで撮ったり、フィルムでショートを作って長編にも挑戦しました。演じることと映画を制作する楽しさの差についてはわかりませんが、どうバランスをとるかということにずっと考えていました。しかし、ドイツでは役者も映画を制作したり、監督も演技の勉強をしたりしていて、バランスを考えなくてもいいのではないかと、この映画に参加して学びました。

Q 宮山監督の印象、今後の活動への期待は何かありますか?
猪俣さん 宮山監督と過ごして私が感じた印象は、宮山監督はもっとも強くて美しい、スーパーウーマンみたいな女性だな、ということでした。自分と真逆だったり同じだったりすることもあり、学ぶことがいっぱいあります。
園木さん 宮山監督は次回の作品について、ドイツ人が日本に来て異文化を感じるものを表現しようとしています。今はドイツを拠点に活動していますが、今後もますますボーダレスに活動していくことと思います。

Q 最後に何か一言お願いします。
園木さん 他の国との合作作品には、ことばの壁や乗り越えなければならないことはありますが、いろんな文化が集まると100%以上の力が出てきます。私は、今、香港、アメリカと合作作品を制作しています。今後はアジアの合作の輪を広げながらみんなに楽しんでもらう力になりたいです。
猪俣さん 今回の映画を見て、商業用の映画だけではなく、静かな映画のよさもわかってもらえればうれしいです。みなさんにはぜひ映画館に行って作品を見てもらって、映画のさらなる発展に協力していただきたいです。

(河口)